Jenner & Block

トーマス・J・ペレーリ弁護士は、ジェナー&ブロックに勤務した後、米国司法省の第3高官職である米国司法次官を3年間務め、その後2012年にパートナーとしてジェナー&ブロックに復帰した、全国的に著名な弁護士です。米国司法次官在職中は、米国司法省による民事、反トラスト、市民権、環境及び天然資源、税制課、米国受託プログラム、司法プログラム局、女性に対する暴力担当局等に勤務しました。ハイレベルかつ複数の当事者が関与する数多くの交渉に参加し、特に、抵当権の提供に関する金融機関に対する請求を解決するための250億ドルの和解交渉を主任として担当し、また、メキシコ湾原油流出事故の被害者に対する損害賠償として200億ドルの基金を設立する交渉を行いました。ペレーリ弁護士は、当事務所の政府議論及び公共政策訴訟プラクティス・グループの創設者です。

ペレーリ弁護士は、法、ビジネス、政府規制が交差する場面において企業や政府を代理しており、政府での豊富な経験や、ワシントンDCでの政府環境や法律事務所での経験をもとに、訴訟及び取引案件におけるストラテジーや、規制遵守ガイダンスや公共政策について、クライアントにアドバイスを提供しています。

ペレーリ弁護士は、1992年、ジェナー&ブロックにアソシエイトとして入所しました。1997年に司法長官ジャネット・レノ氏の代理人弁護士に就任し、その後、司法次官副補佐を経て、2001年にジェナー&ブロックに復帰しました。その後8年間、著作権、メディア、憲法訴訟、公共政策や規制に関する複雑訴訟等に重点的に取り組みました。その間、チェンバースUSA誌において、全国的なメディア及びエンターテイメント法分野の第一人者の一人として取り上げられました。2005年には、ナショナル・ロー・ジャーナル誌において、40歳以下の最も有望な弁護士の一人として選ばれました。また、2009年には、大統領の指名及び上院の任命を受け、米国司法次官に選ばれました。

  • (ジェナー&ブロックに2012年に復帰する以前に米国政府を代理して)メキシコ湾原油流出事故の被害者に対する損害賠償として200億ドルの基金を設立する交渉の一切を担当しました。その後、原油が流出したメキシコ湾の復旧のため10億ドルを確保する交渉を担当し、さらに、メキシコ湾原油流出事故に責任を負う当事者に対する米国司法省による訴訟を監督しました。
  • (ジェナー&ブロックに2012年に復帰する以前に米国政府を代理して)5つの大手抵当権提供会社による顧客に対する法的義務の不遵守(機械的な署名、抵当権実行手続における違法行為、ローン修正の作成に関する違法行為等)により発生した250億ドル以上の金額の和解を取りまとめました。この複雑かつ多面的な交渉には、49人の州司法長官、州金融当局、全米で最大の金融機関、12以上の連邦政府が関与していました。
  • (ジェナー&ブロックに2012年に復帰する以前に米国政府を代理して)アメリカ先住民と米国政府の間における、個人信託口座を巡る長期に渡る紛争(Cobell事件)を終結させました。本件は、10年以上も訴訟が係属した案件で、100年以上も前の請求にも関するものでした。ペレーリ弁護士は、画期的な34億ドルの和解を成立させ、和解実行のための法制定も働きかけ、成功を収めました。
  • (ジェナー&ブロックに2012年に復帰する以前に米国政府を代理して)農場ローンにおける差別を巡る、アフリカ系アメリカ人による農務省に対する請求(Pigford II事件)につき、交渉を担当しました。ペレーリ弁護士は、米国政府を代理して12億5000万ドルの和解を主任として成立させ、和解実行のための法制定も働きかけ、成功を収めました。
  • 部族信託基金の不適切な管理を巡り、部族が米国を提訴した訴訟につき、合計約10億ドルでの一連の和解を担当しました。
  •   司法長官金融詐欺執行タスクフォース執行委員会の副委員長を務めました。
  • プエルトリコにおける大統領タスクフォースの共同委員長を務め、状況、経済、居住、ヘルスケア、エネルギー、プエルトリコが直面するその他の問題についての画期的な報告書を作成しました。
  •    ピア・トゥー・ピアによるファイル共有サービスに関する著名な著作権案件であるMGM v. Grokster案件において、28社の大手エンターテイメント企業の連合体を代理したジェナー&ブロックのチームにおいて、主任代理人弁護士を務めました。

ペレーリ弁護士は、テリー・スキアーボ氏の延命治療拒否権に関する著名なフロリダ州のプロボノ事件において、同氏の希望を認める裁判所判断を覆そうとする州政府及び連邦政府に対して、同氏の夫を代理しました。州裁判所及び連邦裁判所(連邦最高裁判所を含む)において、州法及び連邦法の合憲性につき争いました。